机の下にコンセントがない

許してください

プロローグ

「今どこ?」

「ここどこだろう…迷っちゃった」

「近くに見える建物教えて?迎えに行くから」

H&Mと…ドンキが見える。でもね、駅の方戻れるから大丈夫だよ。少し待ってて」

「わかった、気をつけてね。迷ったらまた教えて」

「ありがとう。じゃあ、あとでね」

少し間が空いて、電話は静かに切れた。

 

今日は土曜日、俺は美香と丸1日会う約束をしていた。今は朝の8時。相手は、愛知からこの東京へと土日の休みを利用してわざわざ来てくれたのだった。まあ、日曜日にあるライブが真の目的らしいけど。

夜行バスに乗ってきて、東京へは朝の6時に着いたらしい。こんな早い時間から会うことになったのは、そのせいだった。本当は6時に迎えに行ってあげたいくらいだったけど、起きられる自信がなかったのでこんな微妙な時間になってしまった。朝の風は、今の俺には少々冷たすぎる。

はじめ、待ち合わせ場所として考えていたのはJRの渋谷駅だった。ハチ公を見たことがないと言うので、ぴったりだと思ったのだ。

ポケットの携帯電話が振動した。親からかと一瞬ひやりとしたが、受信したLINEは美香からのもので、駅の場所はわからないがなんとか109までは辿り着いたとの内容だった。「今行くからそこで待ってて」と返事を返し、携帯をしまう。

駅から溢れる人の波に乗って、センター街を進む。スクランブル交差点には中秋の心地よい風が吹いていたが、音と光と人いきれが充満するこの通りにはまだ少し夏が残っている気がした。

 

美香を見つけた。見つけた途端、体の中のテンションが変わる。条件反射の回路が作られてしまったみたいに。初めて会うはずなのに、どこか懐かしさを感じた。服装の特徴も何も聞いていなかったが、絶対にこの人だという強い確信があった。

美香は近づいて行く俺の姿に気付く様子もなく、イヤホンをしながら携帯を覗き込んでいる。

画面に視線を落とした横顔には、会うまでは全く感じられなかった知性と落ち着きが漂っていた。こんな子が3つも年下の高校1年生だなんて信じられなかった。彼女はそれほど背が高くないから、顔はよく見えなかったのだけど、そのすとんと落ちる綺麗な髪や、可愛らしいけど品のいい服装や、何より全身から滲んでいる空気が「すごく可愛い子の予感」をさせた。

俺はあえて声をかけず、その横顔をしばらく眺めた。胸の中で、シャッターを何度も何度も押し、その美しい姿を目に焼き付けた。

ふと、彼女が顔を上げて、俺を見てくる。

はっとなった。

綺麗な瞳だな、という言葉があとになって、追いついた。

絶世の美女というわけじゃない。でも少しあどけなさの残る顔立ちは清楚で品があった。

俺は、予感通り可愛い子だったことにちょっとした満足感を覚えつつ、同時に緊張した。靴の中がムズムズしてきた。痒いのではない。緊張しているのだ。たかだかネット友達に会うだけのことなのに、あきらかに緊張している自分がいる。

「そーちゃん?」

電話越しに聞いていたよりも遥かに繊細で透き通った声で名前を呼ばれた。平静を装ってはいたが、自分の頰が赤く染まるのがわかった。

「うん。ごめん、待った?」

なんて古臭いセリフだろうと思う。陳腐で、華のカケラもない。そもそも待ったかどうかはさっき電話で確認しているのに。

「ううん、待ってないよ」

「よかった。じゃあ、行こうか」

どこに行くのか。そういえば、行く場所も決めていなかった。まったく。

秋の、暖かいようで冷たい薄い日差しに、特に絵にもならない煩い渋谷が淡く照らされる。その子の髪が風になびいて、ほんのりシャンプーの香りがした。

そんな心地よい風景の中で、彼女はぴんと張りつめた表情をして、妙にかしこまった声で。

「うん」

と、頷いてくれた。

「でも、どこに行くの?」

「わからない」

ダメじゃん、と口では悪態を吐きながらも彼女は微笑んだ。その笑顔がやけに眩しくて、ああ女の子だなって思った。

隣を歩く彼女の装いは想像よりはささやかで、でも確実に華やかで、デート仕様なんだとわかった。

俺に言わせれば、まさしく完璧だった。

自分に合うものを適切に選び、男女ともつっこむ余地がないくらい「ほどよく、理想的で、正統派な女の子」を全身で表現していた。

俺の視線に気づいて、彼女が「ん?」という笑みで見上げてくる。可愛すぎる。

「えっと、今日の服、いいね」

「ありがとう」

控えめにはにかむ。

君はどうしてそんなに完璧なんだろう。

 

「コインロッカー、探す?」

彼女が持っているやや大きめな荷物を横目に声をかける。

「ううん、平気。それより私、お腹すいちゃった」

「本当?持とうか?」

「大丈夫。今日はすーっごく軽くしてきたんだから。ほら、ご飯行こうよ」

まったく何でそんなに完璧なんだと彼女に聞こえないように呟いて、歩き出した。その時、右手に温もりを感じた。

彼女がさも当たり前かのように、驚くほど自然に手を繋いできた。俺は抵抗することもせず応じる。心の中では恋人にごめんねと謝りながらも、心は弾んでいた。珍しく朝靄が出ていた。